有機農業

十勝の開拓と化学肥料

要点まとめ

十勝の開拓が川沿いから高台地域に移った頃に痩せ気味の畑で行う有機農業のヒントがあるのではと調べていたら、意外にも開拓の初期には化学肥料(過燐酸石灰)が使われていた。という話です。

十勝総合振興局 『十勝の農業の歴史 ~経済的な観点での考察~』より引用

 十勝平野の大部分は広大な高台(河岸段丘や丘陵地)ですが、その多くは火山灰が厚く堆積し、 石が無く樹木も少ないため開墾しやすいものの、酸性・過湿で土地がやせており、肥料に乏しい 状況下では十分な収穫は得られない上、生活用水にも苦労するところでした。
 一方沖積地は、肥料を施さなくても比較的良い収穫を得られたため、明治30年ころまでの初期の開拓民は、主に河川沿いの肥沃地に入植しました。
(中略)
 北海道の中ではやや遅れ気味でしたが、十勝においては、明治30年前後に入植を促す制度が整い、その後10年ほどの間で道路や鉄道が相次いで開通したことを契機に、開拓民が次々と押し寄せるようになりました。急増した入植者が新たに開墾したのは、それまで敬遠されてきた広大な高台で、それを可能にしたのは化学肥料(過燐酸石灰)の施用と畜力によるプラウ耕という新しい技術の普及でした。 過燐酸石灰を施用して土壌を改良(酸性矯正・燐酸補給)することで火山灰土壌でも正当な収穫 を上げることが可能となり、また、畜力により広大な面積の耕作が可能となったため、生産性が 飛躍的に向上したのです。

開拓始めの頃、肥沃な川沿いから入植を始めたのは、想像できていたのですが、その後高台の開拓するとき今の有機農業へのヒントがあるかなと調べていたら、どうやら高台への開拓の頃には化学肥料(過燐酸石灰)を使用していたようです。化学肥料がなければ開拓は(高台地域の入植は)厳しかったということでしょうか?

『本別町農業史』に明治41年の「5町歩(約5㌶)模範農場」なるものが載っていました。

(略)明治41年、井出英作自ら実践した「5町歩模範農場一覧」。翁の記述から書き写し、これを紹介する。

(略)

41年度模範農場収支一覧

支出の部

項目 金額 適用
(略) (略) (略)
肥料費 18円67銭5厘 過燐酸石灰他一点代
(略) (略) (略)
153円85銭7厘

収入の部

項目 金額 備考
作物収入 249円46銭3厘
畜産収入 2円55銭 鶏卵153個
雑収入 23円87銭5厘 耕作の余暇を以って出稼セル労働賃金
合計 275円88銭8厘

 

当時の18円で過燐酸石灰の買える量ははどのくらいだったんでしょう?

検索してみると

市川 大祐氏『明治期人造肥料特約販売網の成立と展開 茨城県・千葉県地域の事例』の表1909年(明治42年)肥料販売高届(廣江家史料)(過燐酸石灰部分だけ抜粋してトン当たり価格を書き加えました。)

種別 小売販売分(営業者以外に販売) 書き加え 
肥料名称 数量(貫) 価格(円) 単価(円) トン当
価格(円)
(略)
精過燐酸
肥料
14138 2008 0.14 37.874
(略)
普通過燐酸肥料 28080 3285 0.12 31.197
(略)

 

表は茨城県のある肥料商の記録からです。

一方、工業製品である人造肥料は供給サイドが工業であり,安定的な供給が行われた一方で 、後述するように既に1900年代には市場に対し供給過剰となっていた。生産地と消費地間の価格差は当初より殆ど存在しなかったと言ってよい。

とあるので、茨城県と北海道を一緒にするのは少々乱暴ではありますが、この価格を当てはめて見ると

松っあん
松っあん
憶測です

18.675円➗37.874円/トン≒0.493トン=493kg
5㌶なので10㌃あたり10kg(1㌶当たり100kg)ほどの過燐酸石灰を使用していたことになります(憶測)。
また価格についてですが、

市川 大祐氏『明治期愛知県の肥料流通⑴県内肥料流通の数量的検討』の
表「各府県の主要販売肥料の消費量・額(1909年(明治42年))」(過燐酸石灰10000トン以上だけを抜粋してトン当たり価格(太字)を書き加えました)

過燐酸石灰 書き加え
府県 数量(トン) 価格(円) トン当
価格(円)
北海道 10594 416 25.466
千葉 12157 413 29.436
茨城 36037 1204 29.931
栃木 10818 368 29.397
全國計 180122 6172 29.184

 

とあり、北海道は安く、末端の価格もそんなに茨城と変わらないのかもしれません。(読み取り方が間違っているかもしれません。)

およね
およね
本当に正しいのかぁ?

どのくらいの収量だったんでしょうか?
前述の本別町農業史 明治41年の「5町歩(約5㌶)模範農場」の表に

作物収入の内訳一覧

種類 耕作反別(10㌃) 10㌃分
収穫高(石)
総収穫高(石) 単価
(円/石)
総額(円)
白大豆 14.3205 0.775 11.10 5.356 59.451
黒大豆 10.9190 0.584 6.40 5.250 33.600
小豆 2.0000 0.440 0.88 7.500 6.600
菜豆 5.8285 0.689 4.06 7.200 29.232
黍(きび) 4.4000 1.886 8.30 5.000 41.500
えん麦 3.6240 2.527 9.30 4.000 37.200
とうもろこし 0.2150 2.400 0.60 5.000 3.000
そば 3.2000 0.656 2.10 4.600 9.660
馬鈴薯 1.5000 30俵6 46俵 0.600 27.600
蔬菜 1.2000 1.620
47.2 249.463

 

石(コク)なのでわかりずらいので同じ「本別町農業史」に載っていた換算表(平均値)を使って重量に換算し直してみます。

 

種類 10㌃分収穫高(石) 1石重量(kg)換算表より 10㌃収穫高(kg)
白大豆 0.775 ×134.85= 104.51
黒大豆 0.584 ×134.85= 78.71
小豆 0.440 ×145.31= 63.94
菜豆 0.689 ×134.10= 92.38
黍(きび) 1.886 ×126.90= 239.33
えん麦 2.527 ×87.38= 220.81
とうもろこし 2.400 ×130.76= 313.82
そば 0.656  換算表に価なし
馬鈴薯 30俵6 1840.00
蔬菜

この年の気候がどうだったかにもよりますが、種をとったり、家事用にする分はのぞいてあるとしても、現在と比べると収量としてはあまり多くはないです。
しかし、当時の肥料の量と品種を同じものにと仮定すると、現在でもこの収量を下回る年があることは容易に想像できます。

当農場の畑は、もともと酸性で過湿、おまけに微量要素欠乏地帯であります。慣行農業の頃に時間をかけて酸性改良、排水対策、微量要素の補給、堆肥緑肥などの有機物の補給を行なってきました。今は有機農業を行い、緑肥を3年に一度畑を休ませながらの方法に変えています。このやり方をやってみると、続けられるぞという根拠のない自信は出てくるのですが、一方で、単に過去の土地に投資した貯金でできているのではと冷静な自分が問いかけます。10年、いや、20年経ないとわからないような気がします。