農場ブログ

それぞれの正義と愛

gengo

あくまで 過去の自分が行なっていた(思っていた)個人的な見解です。

私が有機農業に取り組む以前(慣行農業)に、どんなことを感じて農業を取り組んでいたかを振り返って見ました。

就農した頃は、良いものを作って消費者に評価をもらいたく、そこを目標に取り組もうと若々しく考えていたこともあったような…

そんな記憶は忘れ、北海道の畑作農業は基本的に原料を供給する農業、自分の中ではそれが現実でした。

業界の中では品質が一定以上であれば、収量がひとつの評価(個人的な)です。地域で一番収量がある人に憧れも(妬みも)ありました。

面積も一つの評価です。
20年ほど前、50㌶も超える人もでてきて、管理するのは限界だと…
実際、収量を減らしている人も多く限界なのかな思っていました。

すると面積も収量も品質もトップクラスのスーパーマンみたいな経営者が出てきました。
不思議と一人出てくると、スーパーマンが一人増え二人増えいつしか普通になり、今は100㌶超えてトップクラスの品質・収量を維持している人も…

もう一つの評価は畑が綺麗なこと(雑草が生えていない)。

雑草の少ない畑は、周りの農家の評価もupしますし、何より家族関係が良好になります。
25〜30㌶を超えた頃、手取り除草に頼った作業体系には無理が生じます。

除草剤と機械除草で雑草対策を完結できないと全部の畑に手取り除草を入ることは時間的に間に合いません。
あくまで、うまくいかなかった時エラーが起きた時のみ手取り除草を行うのが一般的になりました。
そうなると、散布した除草剤が効果がでると、家族内評価はUPしますが、失敗して効果でないと家族内評価はDOWNします。
周り農家が上手に効果を出しているときに自分のところだけ効果がないと家庭不和になります。手取り除草に時間を奪われ家族サービスにも影響が出ます。

除草剤は農家に ほんの少しの余暇を与えてくれました。

作物の中に雑草を一本でも見つけると、どのタイミングでどの除草剤を散布するか、濃度はどのくらいまで上げらるかとか発芽前しか登録はないけど基準値内に収まるから大丈夫なんてグレーゾーン、ならまだしも、残留基準を調べ、登録はなくても基準値が設定されている薬を調べ使っていいのかなと真剣に考えていました、完全にアウトです。

コンプライアンス(法令遵守)という言葉が流行り出していた頃でしょうか。自分の中では「糞食らえ」でした。効果がなければ意味がないのです。

原料を一定以上の品質にし、収量を確保し、農地の価値を下げないよう(雑草が無く、透排水性が良く、肥沃な畑)且つ、農地を増やさなければ、競争についていけません。

原料調達のユーザーの多くは安心安全を求めますが、価格には反映しませんし、雑草対策に失敗し、品質の落ちた原料は見向きもしません。

農薬を散布する、化学肥料を散布するということは、農家経営(生活を守る)の安全・安心のためです。

大きな声では言いませんが、量を必要とするユーザー(原料調達する方)も品質を平均するために農薬肥料のグレーゾーンは目を瞑って(あくまで個人的な見解)いたのではないでしょうか。
(農家の苦労がわかるからこそ、目を瞑っていたのかもしれません。)

こんな自分が、今、有機農業に取り組んでいます。不思議です。

といっても、実際に取り組むと有機農業に問題がないわけではないと感じます。

環境問題や食糧問題や農業を取り巻く、さまざまな問題を考えると有機農業の方が問題あるのではと、感じることも多いです。

生命科学の進化により この先ものすごいスピードで起きる変化を上手く取り入れることができないと あっという間にオワコン化する可能性が高いです。
見方によっては科学を否定する有機農業。
そこの壁を取り払うと、それもまた、飽きられてしまう可能性も高いですが…

もうひとつ問題なことは、有機農業に関わっている人に、慣行農業は悪と考えている人や 有機農業でも畜糞や有機肥料を使うのは悪、とか その土地の持っているポテンシャルの違いを考えずに善と悪だけで考えている人も少なくないのは問題と(今は)考えています。(私が何もわかっていなくて、何も見えていないだけなのかもしれません)

内面、外面、地域社会、経営、ユーザー、家族、消費者、環境etc…
いろいろな角度から見る それぞれの 正義と愛 があります。

記事URLをコピーしました