負箙(オフイビラ)開拓110年

gengo

2018年は北海道命名150年。

その10年前の2008年は北海道十勝本別町にある負箙(オフイビラ)地区は開拓100周年でした。2018年には110周年をひっそりと迎えました。

 

この負箙地区の開拓記念碑には「開拓功労者 明治41年入地 小栗信太郎 松坂重吉 礒谷文吉 花尾政次郎 大江都蔵 下岡宇平 昭和33年9月15日 本別町負箙村建立」と刻んであります。ここ負箙地区は本別町内でも入植が遅い方です。しかも、開拓記念碑に刻まれた6人(6家族?)のうち5人(5家族?)の名字は今はここにはありません。開拓当時の厳しさを表しているのでしょうか。

 河岸段丘特有の地形の本別町にあって中台から高台にあるオフイビラ地区は水にも不便だったのかも。気温的にも本州から持って来た種を育てるのは難しかったのかも。一部乾性火山灰土が広がって肥料が使える今でこそ1等地ですが開拓当初は痩せ気味で作りづらかったことと想像します。また、大部分は湿性火山灰土で、地下水位が高いところもあり暗渠(あんきょ-畑の土のなかに疏水材を入れ水を畑から排水する設備)などの整備するまでは大変だったろうと想像するのは容易です。

開拓記念碑に名を刻んだ人はまだ幸せなのかもしれません。記念碑に刻まれていない名もなき先人達のおかげで今の私たちがあります。
北海道を開拓するにあたり先住民のアイヌの方達の犠牲があったことも決して忘れてはいけません。

リンク先のウィキペディアには
https://ja.wikipedia.org/wiki/河岸段丘
例として複数の段丘面が発達した河岸段丘の例として本別町の航空写真も紹介されています。

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